先週から読み始めた「アンダーグラウンド」読み終わりました。
読み進めるスピードは、毎日朝昼晩に少しづつ読み進めました。読み始めに感じたように、覚悟を決めて重い内容に立ち向かう必要があったので、一気に読み進めることは困難でした。
読んでまず最初に思ったのは、地下鉄サリン事件について私は殆ど知らなかったなということ。
当時、日比谷線を使って築地駅を使っていた後輩から「あぶなかった」という話を聞いていたので、日比谷線の築地駅で何かあったことは知ってましたが、千代田線、丸ノ内線でもサリンがばらまかれたという事も知らなかったし、築地駅の周辺の駅でもサリンを吸って被害を受けた方がいたという事も知りませんでした。
そしてサリンの近くにいなくてもガスの影響で体調を悪くした人がいるという事さえも知りませんでした。
そして何よりサリンによってどういう症状が起き、どうやって亡くなられてしまったのか、後遺症は、回復はできたのか、そういったことをを何も知りませんでした。ちょっと触れただけで、同じ空間にいただけで、サリンに触れた人の衣服が近くにあっただけで、被害を受けてしまうというは本当に恐ろしい物質で、そんなものをラッシュアワーの地下鉄にばらまくというのは無差別な殺人行為で許されることではないと思います。
当時は、職場も住んでいたところも神奈川で、新聞も読まず、テレビやラジオをあまり見聞きする習慣がなかったこともあり「自分には関係ないな」という意識だったからでしょう。独身だったので、こんな事が起きていると言うことを教えてくれる人も近くにいなかったこともあったかと思います。
次に、インタビューされた人の日常生活に触れ、いろんな人生があるのだなと思った事。インタビューされた方の大半がいわゆるサラリーマンで、共感できることが事が多くありました。当時私も働いてましたので、休みの谷間、ダルさを感じながら仕事はこなしていたものと思います。(まったく当時のことは覚えてませんが)
被害にあったあとでも、前向きに自分の人生に向き合っていこうとする方が多く、随分励まされました。
あとがき代わりの「目じるしのない悪夢」。この中で書かれていた内容は非常に興味深かった。
麻原彰晃が提示したオーム真理教の教義、これに信者が盲目的に従い今回の事件を起こしたわけだが、我々側も「こうあるべきだ」という現代社会のシステムに盲目的に従ってしまっているのではないか?という事。
休みの谷間の3/20、しんどいなと感じつつも仕事があるからと頑張って通勤し、今回の事件に多くの人が巻きこまれた。彼らは片道1時間以上の間、殺人的に混雑する電車にのり、更に多くの人は体調に異常を感じつつも律儀に出社している。
なぜそんな無理をしたか?と質問しても、きっと「理由はない、そういうものだから」という答えになってしまうだろう。多分自分もそうなる。
「現代社会の当たり前のシステム」を疑うことをせずに、黙って従うことは楽なのだ。
オーム真理教の信者が教義に従うことと同じぐらい。
なるべく高い学歴の学校まで行って、良い職に就いて収入を得、家族を持ち、自宅を購入し、税金を払い、社会保険料を払い、年金をもらい、死んでいく。
そういった現代社会のシステムを疑うことも時として大事なのではなかろうか。
そんな想いが読後に心に残りました。