100年ライフの生き方

100歳までピンピン生きてポックリ死ぬ。キャリアコンサルタント&ファイナンシャルプランナーの資格をベースに社会の役に立てるように生きたいです。

壮絶

 

osagoto.hatenablog.jp「熱源」 - 100年ライフの生き方

 

昨日読み終わった「熱源」の流れで、

白瀬矗氏のWikipediaを読んでましたが、

千島列島からの南極挑戦というのは、明治当時としてはとてつもない挑戦だったんだなと言うのが分かります。

 

ja.m.wikipedia.org白瀬矗 - Wikipedia

 

Wikipediaの「千島列島探検」の部分からの引用。

この2年目の越冬は過酷なものとなった。白瀬を含む4人が壊血病に罹り、白瀬を除く3人は死亡[17]。壊血病に罹らなかった2人のうち1人はノイローゼとなり、白瀬も病気による体力の低下から食料の調達が不可能となり、やむなく愛犬を射殺してその肉を食べることで飢えを凌いだほどであった。

 

壮絶、、、。

 

その後、北極点への人類初踏破を目指すも、先を越されたことが分かったので、南極点初踏破を目指す。しかしそこでも初踏破どころか、南極点へ辿り着くこともできなかった。

それでもかの挑戦は日本人に熱狂で受け入れられたという事です。

 

当時、ヨーロッパには色々な面で劣っていたにも関わらず、挑戦し続けたと言うところが素晴らしいですね。

 

しかし彼の晩年は寂しいものだったようで。

 

Wikipediaからの引用

昭和21年(1946年)9月4日、愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の、白瀬の次女が間借りしていた魚料理の仕出屋の一室で死去。享年85。死因は腸閉塞であった[31][32]。 床の間にみかん箱が置かれ、その上にカボチャ二つとナス数個、乾きうどん一把が添えられた祭壇[33]を、弔問するものは少なかった[33][34]。近隣住民のほとんどが、白瀬矗が住んでいるということを知らなかった[33][34]。

 

他の人とうまく付き合うと言うのが苦手だったんですかね。

 

しかし彼の芯の通った信念は素晴らしいと思います。

「そんな無茶な」という目標も貫き通す信念があれば、なんらかの花は咲くのだと思います。

 

 

今日一番伝えたい事

自分の「芯」をもつ。