こちらの記事にある「ピーター・ティールは、いわゆる「ペイパルマフィア(ペイパルを起業したメンバーのグループ、イーロンマスクなど著名な起業家が含まれる)」の“ボス”として有名な人物です。政治面でも影響力を持っているそうです。
そんな彼が指摘するのは、
「進歩」と称されているものの多くは、実際には「気を散らすだけのもの」に過ぎない場合が多いという。
「iPhoneがあるから気が散って、環境から目を逸らし、環境がなかなか変わらず静的だということからも目を逸らす事態になっています」
「慢性的な自己欺瞞に陥った文化・経済・政治では、おばあちゃんですら表面がスベスベのiPhoneを持つようになったのだから社会は進歩していると考えがちです。でも、そのおばあちゃんは、食品価格が上がったせいで、キャットフードを食べていたりするわけです」
経済の「進歩」も、多くの場合、会計上のトリックに過ぎないとティールは言う。たとえば50年代以降のGDPの成長は、家庭生活に含まれていた価値を取り出して、計測し直したところもあるという。
「家庭に目を向ければ『一家に稼ぎ手と主婦が一人ずついる経済』から『両親が共働きで、ベビーシッターが子供の面倒をみる経済』に移行したわけです。それで統計的には、仕事が一つから三つに増え、それに応じてGDPも増えるわけですが、それを進歩だと言うのは話を盛り過ぎです」
言われてみれば確かにその通りかも。。。
特にここのところのインフレ(日本はそれほどでもないが) バグってるレベルだと思います。
なぜこうなったのか?富の配分はどうなっているのか?
人類はもっと幸せになれるはず・・・という示唆を受けました。
ただ生活が、「便利に・安全に」なっていることも事実。
幸せに感じるか、不幸せに感じるかは、相対的なもの。
マスコミの報道や、ソーシャルメディアの発展によって、より幸せな人を生活を見聞きすることが多くなり、「幸せだ」と感じるレベルが上がってしまっている部分も大きいの中と思ってます。