ということで久しぶりに東京での時間を過ごしてきましたが、
何点か感じたことがあります。
空を埋め尽くす無味な高層建築だらけ
高度成長期に開発された施設が老朽化し、また現在の社会にそぐわない部分も多くあるためだと思うんですが、建築中の建物を見ると効率的で無味な高層化された建物が多いように感じました。空が狭い。
災害リスク、人工集中などの観点から本当にこの姿のいいのだろうか、、、という気持ちが湧いてきました。
人が人を見ていない
山手線を中心に、行き交う人の姿を眺めていたのですが、周りを見てないんですよね、みんな。眺めているのはスマホの画面もしくは虚空を見ている感じ。
そしてその表情は眉間に皺を寄せて、難しい顔をしている。
歩き方も周囲を見ずに自分のことしか考えていないように感じました。
一体彼らの心の中には何が起きているんだろう。そんなことを感じました。
そんなことを思いながら、
先ほど「鉄腕DASH」で、明治神宮の周辺の森の再開発の話を見聞きして、
そこからサザンの「Relay〜杜の詩」の歌詞を連想しました。
未来の都市が空を塞いで良いの?
我が身(日本)を映した鏡のような月を
ピアノの音色(おと)が今も胸に響く
コミュニケーションしようと
<中略>
いつもいつも思ってた
知らないうちに
決まってた
この歌詞から感じるのは「コミュニケーションが不足している」という嘆き。
デジタル技術の進化で、人と人の触れ合いが減っていく時代。
人と人のコミュニケーションを維持するには丁寧さが必要じゃなかろうか。
人は効率ではなく、感情の生き物。
効率だけでは人は満足できないと思っています。
人が生活する場所であるためには、感情の部分を残した都市設計が必要な気がします。