100年ライフの生き方

100歳までピンピン生きてポックリ死ぬ。キャリアコンサルタント&ファイナンシャルプランナーの資格をベースに社会の役に立てるように生きたいです。

雨を眺めながら回想

先日の台風の大雨のとき、窓から外をぼんやりと眺めながら、 昔のことを思い出してました。


子供の頃、大雨、台風、洪水などが発生すると訳もなく、ワクワクしてました。不謹慎な事ですが、 非日常な状況がそうさせたのでしょう。
普段歩いている道に水に沈んでいる、 雨漏りして部屋の中に洗面器を置いて寝る、 台風で停電してロウソクの明かりで食事をする、楽しくて仕方ありません。

明日会社どうやって行けばいいんだ、雨漏りの修理しなきゃな、停電いつ終わるんだろう、大人になると心配しかありません。悲しい事ですが、これが責任ある大人というものなのです。


あと大雨で思い出すのが事件が二つあります。

一つ目は、大雨なのに遠距離恋愛の彼女の元に突進する若気の至り事件。

大雨(台風だったかな?)で、電車も止まりそうな中、電車で名古屋まで行き、そこから彼女がいる香川県の高松へ夜行バスで向かおうとします。なんとか名古屋までは着くのですが、高速バスは雨で運休。何とかならないかとバス会社に食ってかかり、徳島行きのバスがある事を教えてもらい、その乗り場へ。そっちの乗り場ではバスは走るが席が空いてないと言われ、何とかならないかと食ってかかり(二度目)、キャンセルされた席をなんとか確保し乗り込む。早朝に徳島に着いて電車で高松へ何とか到着。ここまで書いてるだけで、もう20年以上昔のことなので恥ずかしさ穴を探してしまうレベルの青さ、本当に心が子供でした。私に食ってかかられたバス会社の人へ、その節はすいませんでした。

結局、彼女は体調が悪くなりロクに会うことができず、何しにいったんだか。そんなに無理しないでもいいのにと彼女にはずいぶんと呆れられたのをよく覚えてます。とりあえず、うどんを食べて帰りました。

 

二つ目は、東海豪雨で友人の人生を狂わしてしまいそうになる事件。

ちょうど18年ほど前、東海豪雨がありました。記録的な大雨、大規模な河川の氾濫、多数の家屋の水没浸水発生という稀にみる大惨事でした。

東海豪雨 - Wikipedia

 職場から自宅に帰る手段がなくなってしまったが、出産予定日が近い妻のそばにいてあげたいなあと思い、同期の友人に相談したところ、車で送ってあげるよ、と行ってくれたので、お言葉に甘えてしまいました。友人の車で我が家へ向かうと、予想以上に道路への影響が大きく、やばいなやばいなあと言いながら何とか我が家へ。とはいえ友人の帰りが心配なので、泊まっていけばと勧めるも、大丈夫!と力強く言い、友人は自宅へと向かいました。それから約30分後、友人より携帯メール「車が浸水し動かなくなった」。OH NO...。

今にして思えば、二人共青い。無理すんなよ、会社の近くに泊まっていけよと諭してあげたい。

友人は車から脱出し命の別状もなく怪我や病気にもなってません。水没した車も保険が効いて何とか新車に乗り換えることができたのが不幸中の幸い。

今でもその友人とその時の話をしますが、文字通り過去の出来事と笑って水に流してくれていることに感謝です。

 

余談ですが、東海豪雨のあとに浸水した友人宅の掃除のお手伝いに行ったときに、洪水の悲しさを痛感しました。家の中は泥だらけで、着物や写真のアルバムが、使い物にならなくなり泣く泣く捨てざるをえない、その無力感。自分が家を建てるなら災害に強い家にしようと心に誓ったものでした。

 

雨は、ときに出来事をドラマティックに、ときに滑稽に演出するものだなあと回想した昨夜でした。もう台風も大雨もお腹いっぱいです。まだ台風来ているらしいけど、日本のことはそっとしておいてください。

 

〜回想終わり〜