「騎士団長殺し」昨年の夏に読みましたが、文庫版を買ったので再読しました。
昨年の感想を読み返してみましたが、村上春樹作品に復帰して間も無かったせいもあってか、「村上春樹ワールド」ですねといった軽い感想。
ここ1年で読んできた村上春樹作品の蓄積で、もう少しマシなことを書けそうなので、再度感想をまとめてみようと思います。(とはいえ駄文だとは思いますが)
相変わらずな主人公
村上春樹作品の主人公は基本孤独です。多くの友人や家族に囲まれている主人公は記憶にありません。独り身、もしくは離婚しており、限られた友人との接触しかない人生。あまり一般的ではないが、そういう人生もありかなとは思ったりもします。ミニマルで内省的で自己中心的な。
行動について、今回は、突然消えた妻に別れ話を切り出され、ショックのあまり仕事をほっぽりだして、プジョー205に乗って衝動的に東北や北海道に長旅に出てしまう。仕事の関係者とのやり取りが面倒くさくなり、携帯電話は川へ投げ捨て、「月にでも行ったと思ってもらうしか無い」と切り捨ててしまう。実際に仕事で関わったら面倒臭そう、というより関わりたくない種類の人間です。(しかしその後その仕事関係者とは関係を取り戻す。素晴らしく心が広いぞ、仕事関係者)
謎の少女も相変わらず
まりえ。細身で胸が小さいことを気に病む中学生。(のちに胸が大きくなりホッとする)人付き合いは下手。人惹きつける魅力を備えている。
謎の少女は村上作品にはよく出てきますが、最終的には消えてしまったり、謎でもない普通の子になったりしてしまいます。(今回は後者)物語に大きく関わってくる重要な要素ではありますが、フェードアウトしてしまう感が少し寂しいです。
ジェイ・ギャッツビー=免色氏
「グレート・ギャッツビー」のオマージュと言われているこの作品。免色氏は確かにジェイ・ギャッツビーが重なりますね。
完璧な邸宅に一人で住み、完璧な風貌、完璧な行動、有り余る資産、しかし人間としては何かが欠けている。
そんな人物に巻き込まれ主人公はよりややこしいことに巻き込まれていく。
いや、主人公が免色氏を巻き込んだのか。
物語のパーツ
井戸。身長60cmの騎士団長。顔なが(通称ナスビ)。小田原。
いずれもただのパーツですが、強烈な印象を残しました。
井戸は恐怖しか感じないものでした。時として突然はまり込んでしまう人の世の落とし穴の比喩なのでしょうか。
小田原については、地図を見て、どのあたりなのだろうなと想像してしまいました。「海辺のカフカ」で高松の図書館、「羊をめぐる冒険」の雪に埋まる羊牧場と同じような感じです。モデルとなった土地はあるのだろうか。すごく気になってます。
物語のメインテーマ
主人公は、様々なものを失い、喪失の中から自分を再生すべく「変化」を起こし、勇気をもって試練を乗り越え、そして復活していく。今回は比較的ハッピーなエンディングだなと感じました。
ただ再読すると、プロローグの記述が気になりました。これはエンディング後のエピソードなのだと思います。人生との戦いはそう簡単には終わらない、常に困難は目の前にあるのだと言うことでしょうか。深い。
とりとめのない感想でしたが、60歳を越えてもこんな作品を書くことが出来るのだと思うと、改めて村上春樹さん、尊敬してしまいます。